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2. 歴史みち「本町通り」
(4) 蔵造りの商家
本町通りは江戸時代、毎月6回の市が開かれるほどに栄えていたという。その開催場所のなごりとして、道路と住宅との間が
空き地になっているところが散見される。蔵造りの商家もいくつか残っている。
松本家は本町通りと赤山通りとの交差点にある。前述のハンドブックには明治元年(1868)から3年がかりで建築した。肥料商
とある。右の写真は平成元年に撮影したもの。
前述のハンドブックによれば、蔵造りの家は度重なる大火に対するものとして江戸時代の文政期から明治20年代まで造られ
たという。
こちらは明治17年(1884)建築で、「川越屋」という屋号。醤油の製造販売をした商家。右の写真は平成元年に撮影したもの。
(4) 円乗院
JR京浜東北線与野駅西口から延びてきた道が、本町通りにぶつかった所に円乗院がある。前述の「与野の歴史」によれば、
鎌倉幕府の御家人畠山重忠が建久年間(1190〜1199)にさいたま市桜区道場に堂宇を建てたのがはじまりで、慶長年間(1596
〜1615)ここに移建されたという。延宝六年(1678)には京都仁和寺の直末(じきまつ)寺となった。
さ30メートルの多宝塔は弘法大使1150年遠忌の記念事業として昭和56年建立されたもの。多宝塔といえば、私は20年位前
高野山金剛峯寺の多宝塔を訪ねたことがある。その大きさには圧倒された。ここの多宝塔も大きい。高野山金剛峯寺、根来
寺に次いで全国で三番目になるそうだ。
この塔の中央には印度招来の釈迦如来の真骨が奉安してある。
境内には歴史的価値の高い石造物がある。下の写真左は地蔵菩薩立像で、傍らの説明書きによれば、年代は元禄十三年
(1700)、新編武蔵風土記稿にある記述「与野町の往還を三分する境の石の地蔵」の一つと伝えられている。(正面写真)
下の写真右は寛文五年(1665)の庚申塔で、さいたま市で最も古い庚申塔だと説明書きに書いてある。(正面写真)
(5) 庚申堂
円乗院から本町通りを南に400メートルほど歩いて行くと二又に分かれる。ここのV字箇所に庚申堂が建っている。本町通りは
ここまでになる。
私はこの風景に懐かしさを覚え、21年前にも写真を撮った。下の左がそれだ。このお堂の中には元禄三年(1690)の庚申塔が
祀られている。普段お堂は閉まっているが、閉塞してない桟があるので堂内をうかがうことができる。下の写真の右がそれだ。
正面奥の神壇に庚申塔は安置されている。額の写真は庚申塔だと思われる。
21年前の平成元年7月15日(土)は「与野の夜祭り」で本町通りは大変な人出でにぎわっていた。この庚申堂は開放され、四畳
半程のひと間に地元の人が寄り合っていた。私は寄り合っていた人にお願いをして庚申塔を参拝させていただき、そのうえ写
真撮影のお許しをいただいた。
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