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          2. 歴史みち「本町通り」

        さいたま市中央区は合併するまでは与野市だった。昭和63年与野市刊行「与野の歴史」によれば、「本町通り」は鎌倉街道
        の道筋だったようで、江戸時代には市場が栄え、相模・甲斐から奥州方面への人馬の継立場として、また商品物資の集散
        地として重要だったという。本町通りは北は上町氷川神社から南は庚申堂までをいう。本町通りには今も歴史の跡が多く残
        っている。

        (1) 上町氷川神社北の庚申塔

        上町氷川神社と道路を挟んでちょっと北よりに庚申塔がある。お堂は日本ピストンリング株式会社によって昭和62年1月建
        てられた。後ろに見えるイオンショッピングセンターは日本ピストンリングの跡地に建設されたもの。
        正面中央に「青面金剛庚申供養塔」、正面右上に「天下和順」、左上に「日月清明」と彫ってある。文字の庚申塔ではあるが、
        台座には三猿の像がある。年代は正徳六年(1716)と側面にある。
        上町氷川神社北の庚申塔 上町氷川神社北の庚申塔

        上町氷川神社北の庚申塔 上町氷川神社北の庚申塔 上町氷川神社北の庚申塔

        (2) 上町氷川神社本殿

        前述の「与野の歴史」に、文政年間(1818〜1830)の与野町並絵図が載っている。本では左右のページに分かれているので、
        ソフトを使って1枚にした。
         文政年間の与野町並絵図
        右に氷川の字があり、Y字路になっている。Yは扇の形なので「扇の宮」と云われたとのこと。本町通りはここから上町、中町、
        下町となって絵図左端のY字路で終わる。こっちのY字路には扇に当たる場所に庚申堂がある。昔はここから京都に行くの
        は中山道だったので北が上になっている。

        平成22年1月3日の上町氷川神社参道と拝殿。拝殿の奥に本殿がある。
        上町氷川神社入口 上町氷川神社参道 上町氷川神社拝殿

        下の写真左が本殿。前述の「与野の歴史」によれば本殿から「宝永六年(1709)五月吉祥日」と墨書された棟札が発見された
        ことで、建立年代が明確な神社建築として注目されているそうだ。下の写真右は本殿右側の脇障子でハンドブックによれば
        桃山風の文殊菩薩像とのこと。なお左側の脇障子には普賢菩薩像があるそうだ。
        本殿 文殊菩薩像の脇障子

        (3) 上町氷川神社の庚申塔

        参道から拝殿に向かって左は鎮守の森になっていて、ここに庚申塔がある。ここの老大木は樹齢500年位のケヤキや杉だと
        前述の「与野の歴史」にはある。樹木の写真は昨秋のものだ。
        樹齢500年位の老大木 中央が庚申塔

        庚申塔の上部が欠損している。ここにあるのは台座だろう。三猿は左から言わザル、見ザル、聞かザルのように見える。
        上町氷川神社の庚申塔 三猿

        右側面には「享保四年己亥 三月吉祥日」「○是右 大宮道 奥州道」と、左側面には「○是左川越道」と彫ってある。この庚申
        塔は道しるべでもあった。元は上町氷川神社北側にあったというから、当初は正面を南に向けてこの辺りの二股分岐点に建
        立されたのだろう。
        右側面 左側面

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